人的資本の情報開示義務化とは? 開示する19項目や対応の流れを紹介

無形資産により企業価値を計る世界の動向を踏まえ、日本でも2023年度3月期決算以降より有価証券報告書を発行する企業約4,000社に対して人的資本の情報開示が義務化されました。ここでは詳しい開示内容を紹介するとともに、無形資産を数値化する方法について解説します。

人的資本とは

人的資本とは、個人の資質や知識、能力、技能資格を企業の資本として捉えた経済学用語です。設計開発を国内で行い、海外で製造するというスタイルが定着している現代では、モノやカネといった有形資産の流れを明記した財務諸表だけで企業の価値を計るのは困難です。

そこで正しい企業価値を計るための指標として、特許などの知的財産や、従業員の資質や労働環境整備といった人的資本が重要視されるようになりました。投資家の間では、人的資本に対する企業のあり方から、企業の長期的成長を予測して投資するESG投資も人気を集めています。

人的資本の情報開示とは? 2023年3月期決算から有価証券報告書への記載が義務化

金融庁による「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正案により、令和5年3月期決算以降、有価証券報告書を発行する企業約4,000社を対象として、有価証券報告書へ人的資本の内容を記載することが義務化されました。これは2021年6月に改訂された東京証券取引所のコーポレートガバナンス・コードにおいて、人的資本や知的財産への投資情報を開示することが求められたことを受けてのもので、人的資本への投資を強化し、企業価値の向上を図ることを目的としています。

金融庁/「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正案の公表について

人的資本の情報開示が求められる理由

ESG投資で必要とされている

近年、投資家の間でESG投資が注目を集めています。ESGとは、Environment(環境)・Social(社会)・Governance(ガバナンス)」の頭文字をとった言葉で、企業が長期的に成長するための指針とされています。ESG投資とは、このESGの観点から企業を評価して投資することを意味しています。短期的ではなく長期的な目線で企業を評価するため、安定した運用につながると考えられています。

そのため投資家は、財務諸表のみならず、企業の地球温暖化や人種差別問題など社会問題への取り組みや、健全な経営を維持するための管理体制のあり方などを注視する傾向にあります。人的資本の情報開示義務化によって、投資家はより詳細な情報を手にすることができ、これからはさらに多くの投資家がESG投資に興味を持つことが予想されます。それにともない、企業の人的資本経営に対しての要求も高まる可能性があります。

無形資産の価値が高まっている

製造業などでは、国内で製品の開発設計を行い、海外で製造するという形態のビジネスが一般的になっています。国内で開発から製造まで行っている場合は、カネ・モノのやりとりを表す財務諸表でも企業の価値は推し測れました。しかし、ソフトウェア開発だけを日本国内で担うような企業やサービス業では、財務諸表だけで企業本来の価値を判断することは難しいのが現状です。

そこで、財務データだけでは知り得ない従業員の質や特許、社会貢献活動などの無形資産を人的資本と捉え、企業の価値を評価する「人的資本経営」の考え方が広まっています。

今後、企業が長期的成長を達成するためには、人材育成や労働環境整備に力を入れ、従業員の質や意欲を高め、生産性を向上させることが重要です。人的資本こそが企業価値を計る重大な指標であり、ステークホルダーは企業の無形資産を注視する時代に突入しています。

人的資本開示をする企業のメリット

投資家が増える

人的資本を開示することで、投資家に企業の魅力が伝わりやすくなります。詳細に開示することで、透明性が高まり、投資家に選んでもらいやすくなる可能性があります。

採用しやすくなる

「女性管理職比率」、「男女間賃金格差」、「男性の育休取得率」といったダイバーシティ関連の数字を公開し、働きやすい職場であることをアピールできれば、求人応募者数増加に寄与するでしょう。また、育成、従業員エンゲージメント、流動性、健康・安全、労働慣行・福利厚生などの情報も求職者が転職先を選ぶうえでの材料となり、詳細に開示している企業のほうが採用に有利です。

中長期的な人材やサステナビリティなどへの投資が説明しやすくなる

指標の改善を目的としているということで、一部の人材への中長期的な投資が説明しやすくなります。いままでPLにインパクトがないことを理由に進めることが難しかった人事施策などを通しやすくなる可能性があります。

自社のガバナンスや改善に活かせる

各種指標を継続的においかけるようになることで、自社で改善を進めやすくなります。たとえば、ダイバーシティなどの項目は、改善したほうがよいと思っていても、なかなか進んでいかないのが従来の多くの日本企業の状況でした。女性管理職比率などの指標をIRで開示し続けるようになれば、少しずつでも改善していく圧力が働き、社内で関連した施策が進みやすくなります。

日本における人的資本の情報開示の動向

「人材版伊藤レポート」が公開

経済産業省では日本経済の成長のため、いくつかの研究会が開かれています。なかでも2020年に発表された経済産業省によるレポート:通称「人材版伊藤レポート」では、経営戦略と連動した人材戦略をテーマにその重要性がまとめられています。さらに2022年5月には「人材版伊藤レポート2.0」が公表され、人的資本経営実現のための具体的な実践アイディアが示されました。

経済産業省/「人材版伊藤レポート2.0」を取りまとめました

経済産業省の「非財務情報の開示指針研究会」が開始

2021年9月には、企業の無形資本に関する情報開示の重要性の高まりを受けて、経済産業省で「非財務情報の開示指針研究会」が開始されました。ここでは気候関連情報・人的資本情報を議題に、持続的な価値を創造していくためのサステナビリティ関連情報開示について議論が交わされました。

経済産業省/非財務情報の開示指針研究会

内閣官房の「非財務情報可視化研究会」が開始

2022年2月より内閣官房内で「非財務情報可視化研究会」が定期開催されています。この研究会では、非財務情報の価値を評価する方法について検討を行い、企業を経営する上で参考となる指針をまとめることを目的としています。

内閣官房/非財務情報可視化研究会

「コーポレートガバナンス・コード」が改訂

2021年6月には東京証券取引所より、上場企業の企業運営の原則・指針である「改訂コーポレートガバナンス・コード」が発表されました。人材育成方針・社内環境整備方針およびその実施状況や、サステナビリティを巡る課題への取り組み、企業の中核人材における多様性の確保など、人的資本についての情報開示を求める内容が記載されました。

改訂コーポレートガバナンス・コードの公表

情報開示が望ましい人的資本7分野19項目とは?

2022年8月末に、内閣官房より上場企業へ向けた人的資本開示に関するガイドライン「人的資本可視化指針」が発表されました。投資家をはじめとしたステークホルダーに向け、人的資本運営の情報として以下の7分野19項目においての情報開示が望ましい ことを示しています。

・育成:3項目(リーダーシップ・育成・スキル/経験)

・エンゲージメント:1項目(従業員満足度)

・流動性:3項目(採用・維持・サクセッション)

・ダイバーシティ:3項目(ダイバーシティ・非差別・育児休業)

・健康/安全:3項目(精神的健康・身体的健康・安全)

・労働慣行:5項目(労働慣行・児童労働/強制労働・賃金の公平性・福利厚生・組合との関係)

・コンプライアンス/倫理:1項目(コンプライアンス)

開示内容は、投資家にとって馴染みやすい開示構造である「ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標」の4要素に基づいて検討することを推奨しています。その上で人的資本への投資/人材戦略と、自社の経営戦略の関係性を論理的にまとめます。従業員との関係性を大切にして戦略的に環境整備を行っていくという一貫したストーリーを説明していくことで、長期的な成長が見込める企業価値の創造につながります。

人的資本可視化指針

人材育成

人材育成では、「リーダーシップ」「育成」「スキル/経験」の3項目においての情報開示が望ましいとされています。以下にいくつかの例を紹介します。

・従業員研修における1人あたりの研修時間、全体の研修コスト

・研修内容と参加率、人材開発の効果

・人材確保や定着に向けての取り組み

・スキルアッププログラムの種類

このように、後継者の育成や、優秀な人材の維持のための環境整備状況の説明は、長期的な経営戦略として印象付けられる項目です。人材育成による効果などもあわせて具体的に記載します。

エンゲージメント

エンゲージメントとは企業と従業員の相互理解のことです。この項目には、従業員満足度についての情報を記載します。エンゲージメントの高さは生産性に直結するため、企業成長にも良い影響を与えます。従業員が快適に働ける環境整備を自社の方針や進捗状況とあわせて報告します。

流動性

流動性では「採用」「維持」「サクセッション(継承)」の3項目における情報開示が求められています。以下にいくつかの例を紹介します。

・年齢別、性別、地域別、職種別における離職率

・人材確保や定着における取り組みや採用コスト

・移行支援プログラム、キャリア終了マネジメント

・後継者有効率、カバー率、準備率

離職率に関する情報は、人材教育や労働環境改善に役立てられます。離職の傾向を把握するには、いくつかの視点から統計をとることが必要です。定着性を高める取り組みとの関連性も高いので、将来を見据えた人材資本への投資にもつながります。

ダイバーシティ

ダイバーシティでは、「多様な働き方」「非差別」「育児休暇」についての情報開示が望ましいとされています。以下にいくつかの例を紹介します。

・従業員の多様性(年齢、性別、人種、障がい者などの割合)

・産休/育休の取得率、復帰率

・男女間の賃金格差

金融庁は、2023年3月31日以降に終了する事業年度の有価証券報告書について、人的資本、多様性に関する開示を行うよう義務化しました。女性活躍推進法等に基づいて「女性管理職比率」「男性の育児休業取得率」「男女間賃金格差」を公表している企業を対象とし、それらの指標を有価証券報告書等にも記載を求めています。特に社会注目度の高いトピックなので、具体的な数値とともに情報をまとめましょう。

健康・安全

健康・安全では、「精神的健康」「身体的健康」「安全」についての情報開示が求められています。以下にいくつかの例を紹介します。

・業務以外での従業員のヘルスケアサービス利用促進

・従業員の欠勤状況

・労働災害の発生件数、死亡数など

・健康安全に関する取り組み

この項目では従業員の健康や安全面に対する現状と、安全衛生マネジメントに関する取り組みについて記載します。労働災害に関しては特に開示が求められている項目であるため、身体的損傷のみならず精神的疾患も踏まえて、労働災害による損失時間を割り出し報告します。

労働慣行

労働慣行では「労働慣行」「児童労働/強制労働」「賃金の公正性」「福利厚生」「組合との関係」の5項目についての情報を取りまとめます。以下にいくつかの例を紹介します。

・児童労働/強制労働に関する表明

・賃金の男女比、平均時給、最低賃金など

・福利厚生の内容

・結社の自由や団体交渉の権利について

この項目では、労働における公平性を軸にまとめます。

コンプライアンス/倫理

コンプライアンスでは、法律だけではなく、社会規範や倫理に則った誠実な企業経営ができているかを報告します。以下にいくつかの例を紹介します。

・深刻な人権問題の件数、およびその影響と対策

・苦情の件数/差別事例の件数およびその影響と対策

・コンプライアンスに関する研修の実施内容

・人権/ハラスメント事例の件数や対策

企業のリスクを減少するためにコンプライアンスに取り組むことは大切です。しかしそれだけでなはなく、コンプライアンスを中長期的な企業の成長に関わる課題であると認識し、積極的に取り組む姿勢が評価されます。

人的資本の情報開示における流れ

人的資本の情報をまとめるには、まずは現状を把握し明確な目標をたてて実行する必要があります。そのための手順についてご紹介します。

情報開示に関わる現状を把握する

無形資本である人的資本をステークホルダーに説明するには、数値化して目に見える形にする必要があります。平均賃金や離職率、研修コストなどとは異なり、職場環境や人間関係は数値化することが難しい分野です。そこで、以下のような方法を利用して数値化していきます。

従業員サーベイ:従業員の企業や仕事への満足度やニーズを調査する

エンゲージメントサーベイ:従業員の企業や仕事への理解度を調査する

上記の2つをまとめて「組織サーベイ」と呼ぶこともあります。職場環境や人間関係におけるデータは、満足度や理解度が高いほど生産性が高いという指標になります。数値化することにより、これまで把握していなかった問題が浮き彫りになり、労働環境の見直しにつながります。

目標を設定する

人的資本を数値化することで、自社の現状把握が容易になり、他社との比較もしやすくなります。その結果、自社が直面している課題を正確に特定し、適切な改善目標を設定することが可能になります。

改善による社内環境の向上は、従業員満足度の向上に大きな影響を与え、生産性の向上を含む企業の長期的な成長につながります。目標を設定する際は、実現可能で従業員が共感しやすい内容にすることが重要です。「どのような対策を講じると生産性アップにつながるのか」「目標達成することで従業員にはどのような影響があるのか」「目標達成に要する期間やコストはどのくらいなのか」など、具体的な対策を考えましょう。

PDCAを回す

情報開示を行うことは、単に社外に目標や戦略を提示するだけでなく、社内のPDCAサイクルを回す ための強力な動機づけになるというメリットがあります。PDCAの「C」であるチェック部分においては、情報開示後にステークホルダーとのコミュニケーションを通じてフィードバックを得ることができます。決算報告会や事業理解促進のための事業説明会および施設見学会などの場では、積極的にステークホルダーとの対話の機会を設けましょう。第三者からの意見を取り入れた改善を行い、PDCAを何度も繰り返すことで人的資本経営は強固なものとなります。

このような一連の流れが企業の公平性や透明性を高め、ステークホルダーとの信頼関係構築につながります。今後、情報開示は企業成長を促進するための重要なステップとなり、明確な目標を持った PDCAの実行こそが人的資本運営の鍵になると考えられます。

その他の人的資本に関連した参考指標や提言

人的資本についての情報開示はまだ発展途上であり、各国で議論が進められています。主要な団体が開示している参照指標などを紹介します。

ISO30414

2018年12月に国際標準化機構(ISO)が発表したISO30414では、11項目、58指標が含まれており、国際的なトレンドから今後さらに開示が詳細なものになっていくと考えられます。

世界経済フォーラム(WEF)による21の中核指標と34の拡大指標

世界経済フォーラム(World Economic Forum: WEF)は、2020年9月に公表したホワイトペーパーで、ガバナンス、地球、人、繁栄の4つに分類された21の中核指標と34の拡大指標を提示しています。

ステークホルダー資本主義の進捗の測定:持続可能な価値創造のための共通の指標と一貫した報告を目指して | 世界経済フォーラム

有価証券報告書での人的資本の開示事例

日本の大企業の有価証券報告書で人的資本がどう開示されているかの事例は、以下の金融庁による資料によくまとまっています。丸井グループ、双日などの開示をしている企業の実際の有価証券報告書を抜粋、引用したうえで良いポイントを説明しています。これから開示を検討されている方にとって役に立つ資料です。

記述情報の開示の好事例集2022 金融庁 2023年1月31日 有価証券報告書におけるサステナビリティ情報に関する開示 2.「社会(人的資本、多様性 等)」の開示例

人的資本について調べている方であればおなじみの人材版伊藤レポート2.0の中にも旭化成、アステラス製薬などの様々な企業の事例がまとまっています。

経済産業省_人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~ 実践事例集

まとめ

人的資本の情報開示について、政府の動きや開示が求められる7分野19項目の内容についてご紹介しました。人的資本は無形であるために数値化が難しい部分ですが、テストツール「ラクテス」では自己申告のみで判断せざるを得なかったスキルの数値化を行う「スキルチェックテスト」を実施しています。無料で10回受験できる上、問題内容も企業に合ったものにカスタマイズできます。スキルチェックテストは、研修企画や昇進試験の策定、人材採用の場面でも活用可能です。

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